MAMINAMI・著

 

"こえ"を聞く社長』

 

 

 「……」

 

「?」

 

その書類に、サインを入れようとしたとたん、誰かの「こえ」が聞こえた。

 

猫? 

子供、いや、赤ん坊の泣き声?

確かに聞こえた、誰かの声。

必死な悲痛な誰かの叫び声。

 

「赤ん坊…」

 

デスクの前のベビーベッドに目をやる。

この無骨な部屋と私のもとにおいておくのは、

酷く不釣合いなほどの、愛らしい形のベッド。

 

何十年も前には、この中に私が眠っていた。

今の姿とは想像だにつかないであろう、小さい小さい小さい私が。

 

「……」

「……」

 

もうすぐこのベッドは、誰かの手に渡る。

世界のどこかで、コレを待っていた人のもとに。

 

私のサインを待っている、机の上の書類。

 

『弊社製品の自社回収、ならびにリサイクル販売事業提案』

 

私は、しあわせな気持ちになる。

この「国」にも、善良な民がいたのだ。

私の作った、この「国」にも――

 

 

 

いつの間にか大きくなってしまった私の""

あまりにも大きくなりすぎて、この""の中で、

果たして毎日何が起きているのか、私には解らない。

「国民」一人ひとりの声を聞くことすらできない。

紙の上の声だけでは、

叫んでいるのか訴えているのか

喜んでいるのか悲しんでいるのか。

 

私のサイン1つで世界が変わる。

私のサイン1つでヒトが左右される

私のサイン1つで何が生まれて何が留まるか

私のサイン1つで破滅さえ起こせる

私のサイン1つでこの「国」を壊す事だって――

 

「……」

「……」

 

静まり返っている室内。

また誰かの…こんどは話し声。

 

ささやくような、か細い声で、誰かが何かを言い争っている。

空耳かもしれない。

自分の思い込みかもしれない。

けれどそれは、そう思えば思うほど聞こえてくる。

 

「……」

「……」

 

聞いたことも無いような言葉。

私には、内容まで聞き取ることができない。

 

「……」

「……」

 

「子供の声かな? なんだか――」

 

不安そうな声。

 

 

 

窓の外、遠くの町へ意識を向けてみる。

 

近い街の悲鳴、遠い異国の銃声

大通りのクラクション、けたたましい電話の音

子供の笑い声、大人の内緒話

愛の言葉、悲しい別れの台詞

 

「……」

「……」

 

そして、誰かの不安そうなつぶやき――。

 

それらはきっと「せかいのこえ」。

 

みんな何かを話してる、みんな何かを言いたがってる。

知りたい気持ちは私だけにあるんじゃない。

わかってもらいたい気持ちはあなただけのものじゃない。

世界はわたしだけのものじゃない。

この「国」だけが、この場所だけが世界じゃない。

 

だから、いつまでも、いつまでも、

けたたましく、騒がしく、鳴らして、歌って、「せかいのこえ」。

私に、私の体に、この「国」に、この部屋に、聞こえるように、響くように。

 

知りたい気持ちは、今日も止まらない。

 

「……」

「……」

 

わたしは、ここにいる。

あなたは、どこにいるの?

あなたは、なにをいましたいの?

わたしはね、わたしは…

 

…私は、自分に聞こえた声を頼りに、

自分にできることをしたい。

「せかいのこえ」を、永遠に知っていたい。

 

書類に再びサインをしようと机に向かったとき、

不安そうなささやきが、今度は私にも理解できるはっきりした言葉で、

そこにいるはずも誰もいないはずなのに、

「違れちがいざま」に、私にこう聞いてきた。

 

『……それは、"みらい"のため?』

 

 わたしは、声の聞こえた、誰もいない場所に向かって、こう答えた。

 

「きみたちの、いいあらそいを、とめるため」

 

「……」

「……」

 

ささやきが止まる。

 

と同時に、ドアの向こう側をコツコツとノックする音が聞こえた。

 

「社長? 回収のかたが見えました。社長――?」

 

 

私のなにかが、世界のどこかの、誰かに響いたら

それはきっと、この上ない「しあわせ」だ。